3つの宝箱(あるいは思い出という名の公園)

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

時間という名の砂時計その貴重さ

 テレビ番組の中に「あの人は今」的な番組が今でも放送されることがあります。昔人気だったアイドルや俳優が今現在の姿は、どうなっているのかを、その本人を探し出し放送するものです。

 私も興味本位でこういう番組をよく見ます。今まで多くのタレントの何十年後かの姿を見てきました。その大多数は時の流れの無常さを感じさせる容姿になっています。

中には年を経ても綺麗な方もいますが、少数です。大多数のタレントは(ああ、あんなに可愛かったあの娘がこんな風になってしまうんだ。)と感じてしまう容姿になっています。

この手の番組を見る度に私はある小説を思い出します。アイルランドの作家オスカーワイルドの「ドリアングレイの肖像」です。

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これはドリアングレイという美少年が、自分の容姿が年を取り醜くなることを恐れ、ある願い事をします。

それは自分の代わりに自分の肖像画が年を取って欲しいというものです。そして自分は年を取らずにいつまでも美貌を保ちたいという願いです。

この願いがかない、ドリアングレイはいつまでも年を取らずに肖像画がその代わりに年を取ることになります。

その結果としてドリアングレイは幸せになれたのでしょうか。答えは否です。ドリアングレイは周囲から孤立し、孤独の果てに最後は自分が年を取らないことを嘆き、自らその肖像画にナイフを突き立て命を終わらせる結果となります。

この小説は深い課題を私たちに問いかけてきます。それは「不老不死」は本当に幸せなのかということです。ワイルドは決してそうではないとドリアンを通じて私たちに伝えています。

どんどん自分の愛した人たちや友人が年老いてなくなっていく、それを見送り続けることの繰り返し。これは本当に切ないものでしょう。

人間の命は有限だから尊いんだよとワイルドは、この作品を通じて伝えたかったのではないかと思います。

このテーマは松本零士の「銀河鉄道999」でも扱われています。母を機械人間に殺された星野鉄郎は永遠の命を得るために機械の体を求める旅に出ます。謎の美女メーテルと共に。

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最初は機械の体を欲しがっていた鉄郎ですが、最終回で機械人間達の堕落した姿を見て、永遠の命のむなしさに気づきます。そして有限である人間の命のかけがえのなさ素晴らしさを再認識し、生身の人間として生きていくことを決意します。

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冒頭に書いた「あの人は今」のような番組を見るといつも、この二つの作品のことを思い浮かべます。

そして、ある意味時の流れの無常さを感じつつも、「この今の姿が、この人たちの今まで生きてきた人生の足跡を現しているんだな」と受け入れると共に、人生の有限さ、時間が元に戻らないことを感じます。

だからこそ、一日一日を大切に生きなくてはと改めて思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。