3つの宝箱(あるいは思い出という名の公園)

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

昭和プロレスを巡る謎その4(昭和全日本プロレスにおける両者リングアウトの謎)

 昭和の全日本プロレスでは、試合の完全決着が着かないことが多くありました。その時の決着方法としては両者リングアウトや反則決着などが用いられました。これらの決着ですと対戦した両者に傷がつかないため、特に全日本プロレスでは多くの試合が、これらの終わり方になっていました。

 特に両者リングアウトはファンから見て、同格の対戦相手同士が戦う時はこの決着になることが常でした。例えばブッチャーとブロディとかどちらも負けることが許されないような試合の時は、ほぼ両者リングアウトもしくは、どちらかの反則勝ちで試合が終わっていました。

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昭和の終わりから平成にかけて、この不完全決着に対する不満が高まり、全日本プロレスでは完全決着がつくように改革が進みました。いわゆる四天王プロレスが、その完全決着が着くプロレスの完成形かと思います。

ただ私個人の思いとしては、両者リングアウトや反則決着は昭和プロレスにおいては、必要悪だったと思います。

その理由としては、やはり前述したように同格の選手同士が戦った時に、双方に傷がつかないこと。これが一番大きいですが、それ以外にも完全決着がつかないが故に自分の想像を膨らませることが出来ました。結果は両者リングアウトだけど、本当はあっちの選手の方が強いななどと、試合中の攻防から自分で想像を巡らせることが出来たのです。

そういう楽しみ方を私はしていました。

 今回はその両者リングアウトのおける謎の話です。同格の選手同士が戦って両者リングアウトになることが普通ですが、全日本プロレスで不思議な両者リングアウトが連発されたシリーズがありました。昭和56年の最強タッグリーグ戦でのことです。

その張本人は、全日本プロレスの御大ジャイアント馬場です。

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このシリーズに参加したチームの中にBVラシクとKKクラップのチームがいました。二人とも過去に国際や新日本に参加した時はエース級の選手でした。しかし、この最強タッグ参戦時は既にピークを過ぎており、リーグ戦の結果は最下位に終わっています。

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この二人と馬場がシングルで対戦して、共に両者リングアウトの結果に終わったのです。私はこの試合結果を新聞で知ったのですが、とても不思議に思いました。馬場とこの二人が引き分けで終わる理由がないからです。

馬場は全日本のエースであり、この二人より遙か格上の存在です。普通に考えれば短時間でピンフォールをとって当たり前の相手です。それが何故二人共と両者リングアウトに終わったのかと腑に落ちませんでした。

ここからは、私の想像です。これは二人に対する馬場の忖度だなと当時思いました。リーグ戦最下位の二人に対して、何か手土産を持たせてやろうと馬場が思ったのではないかということです。

日本から帰る時にリーグ戦最下位の結果だけでは、二人の今後の海外での試合にプラスになることがありません。ですがジャイアント馬場と引き分けたという事実があれば、それを現地のプロモータ-にPRして自分の価値を高めることが出来ます。そのために馬場があえて二人と両者リングアウトの試合結果に終わらせたのではないかと思います。

その根拠は、馬場が凄くレスラーの序列や勝ち負けに神経を使っていたからです。そのことを示すエピソートがあります。

これは平成のことですが、チャンピオンカーニバルという総当たりリーグ戦が開催されている時のことです。ファンサービスの為に、当時リングアナだった仲田龍氏がカーニバルの星取り表を会場に貼りだしたことがあります。

これに馬場が激怒して、すぐにそれを剥がさせたことがありました。その理由は負けが立て込んでいる選手がそれを見たら気分が悪いというものでした。

そこまで選手の勝ち負けに神経を使っている馬場だからこそ、リーグ戦最下位のクラップ・ラシクに対して忖度したのではないのかなと思います。

リーグ戦は最下位でも馬場と引き分けるという大きな手土産を持たせて、二人のプライドを傷づけないようにした。そんな風に思えてなりません。あくまで私の想像であり的外れかもしれません。ただそう考えると話の辻褄があうことも事実です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。