3つの宝箱(あるいは思い出という名の公園)

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

昭和プロレスを巡る謎その3(ジャイアント馬場とラッシャー木村の不透明決着の謎)

 国際プロレスが存在していた時に、全日本プロレスのジャイアント馬場と国際プロレスのエース、ラッシャー木村との対決は2回行われています。

一度目は、昭和50年12月17日の千葉公園体育館。全日本主催のオープン選手権の公式戦として行われています。

二度目の対決は昭和53年2月18日蔵前国技館。この時は全日本・国際・韓国の三軍対抗戦のメインイベントとして行われました。

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2戦の試合結果はいずれも馬場の勝利で終わっていますが、2回とも物議を醸す決着となりました。

初対決の時は、ブッチャ-が乱入し最初に馬場を襲いましたが、その後は木村に凶器攻撃をしかけ木村は大流血をし、馬場に河津落としで仕留められています。

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二度目は、馬場が四の地固めを仕掛けたところ、木村がロープに逃れますが、何故かレフリーの芳の里がロープブレイクを認めず木村はエプロンから上半身宙づりになったままリングアウト負けをとられています。

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いずれも完全決着とは言えない終わり方で、特に国際ファンには不満が残った終わり方でした。では何故2回ともこのような不透明な終わり方になったのでしょう。

そこには、馬場と吉原社長の双方の思惑とすりあわせがあったと思います。

 まず馬場の立場としては、木村は格下の後輩であり負けることは絶対許されない。

完全決着で勝って当たり前ということです。

一方国際の立場としては、木村が完全決着で馬場に負けてしまうと、「国際のエースは全日本のエースより弱い。」ということが明確になってしまいます。

そうするとその後の国際単体での興業に支障が出ることは明白です。全日本より格下の団体ということが明確になると客足が落ちることは避けられません。

そこで着地点として落ち着いたのが、「木村は馬場に負けるけれど、負けた理由に言い分けがつくような終わり方にしよう。」ということだったのではないかと思います。

事実初対決の時はブッチャ-の乱入のダメージがあったから負けたと吉原社長は抗議しています。ファンも「なるほど、そう抗議するのも最もだ。」と思ったことでしょう

二度目の時は、もっと抗議しやすい形にしています。「木村は明らかにロープにエスケープしているのに、それを認めないレフリーがおかしい。」という風に当時誰もが思ったことでしょう。

この2回の不透明な終わり方により、「木村は馬場に負けたけど、あの負け方はおかしい。」こうファンに思わせることが出き、木村のイメージダウンは最小限に留められたと思います。

遙か格上の馬場がこのような終わり方を飲んだ理由としては、「完全に国際プロレスを潰してしまってはまずい。」という考えもあったと思います。

これは馬場が国際のことを思ったわけでなく、ビジネスとして考えた時に過去の経験から「日本人だけの対抗戦は儲かる。」という考えがあったと思います。

事実、国際との対抗戦では双方に利益が出て馬場が、「日本人だけで興業を打つとこんなに儲かるのか。」と言ったそうです。

 

今後も国際との対抗戦ビジネスを継続するためには、完全に国際プロレスを潰すわけにはいかない。そのため木村との試合は不完全決着にしたのではないかと思います。

今となっては真実は藪の中ですが、そう考えると辻褄があってくるのではないかと思います。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。