3つの宝箱(あるいは思い出という名の公園)

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

立命館大学の思い出その9(ブロディがいなくなった日)

プロレスファンなら誰でも知っていますが、かってブルーザーブロディというレスラーがいました。
私が大学生の頃ブロディは、ハンセンと並んで地上最強のレスラーと称されていました。
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ハンセンが新日本ブロレスから全日本に移籍したことにより実現した二人のタッグチーム「超獸コンビ」は無敵の強さを誇り、あの鶴龍コンビやファンクスでさえ、圧倒するほどでした。
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猪突猛進なハンセンと違い、ブロディはチェスのように相手との駆け引きを楽しむようなところがありました。前職がジャーナリストということもありブロディは「インテリジェンスモンスター」と呼ばれていました。
私はそんなブロディがどのレスラーよりも好きでした。そのフィジカルの能力の高さからくる技の圧倒的な説得力は他のレスラーにはないものでした。 
何しろただのニードロップもブロディが使うと必殺技になってしまうのですから。
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私は何よりブロディの目が好きでした。思慮深さと哀愁が感じられるブロディの目に魅力を感じたものです。
そのブロディが私が1回生の春に新日本プロレスに移籍しました。ブロディが全日本からいなくなることは、残念でしたが猪木との対決が見られることへの期待感の方が大きくワクワクしたものです。

猪木との初対決は、スリリングな展開で面白かったと思います。
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しかしその後ブロディの新日本移籍は失敗だなぁと思うようになりました。
一つには新日本には猪木以外にブロディと好勝負を出来るレスラーがいなかったことです。
坂口ではブロディの動きについていけなくてリズムが噛み合わず、藤波ではブロディの相手としては小さすぎました。
もう一つは、猪木が意外とブロディの技を真正面から受けることが少ないため、ブロディとの試合がすぐにマンネリ化したことです。

天龍がブロディが移籍した後、雑誌のインタビューで「どうですか猪木さんブロディは凄いでしょう。
俺はそんなブロディの技を受けて受けて受けまくってたんです。」と当時語っていました。
確かに天龍にしろファンクスにしろブロディの技を真正面から逃げずに受けていたので、よりブロディの凄みが感じられたのです。
それに対し猪木はブロディの技を上手くかわすような試合運びのため、物足りなく感じたものです。

そのブロディが新日本とのトラブルもあり、1987年に全日本に帰って来ました。この時は本当に嬉しく思ったものです。戻ってきたブロディは、鶴田や天龍と激闘を行い(やっぱりブロディは全日本が向いてるわ。)と出戻りを許した馬場の英断を嬉しく思ったものです。

しかしその1年後「ブロディ刺殺される!」というショッキングなニュースが大スポの1面を飾りました。あまりの衝撃的な記事に目を疑いましたが、元々ブロディには、我が強いところがあり自分の気に入らないマッチメークは受け入れないなどプロモーターと揉め事をよく起こしていました。
そのためプエルトリコで現地のブッカーホセ・ゴンザレスとマッチメークで揉めてしまい刺殺されたという報道でした。
(あんな屈強なブロディがそんなにあっさり死んでしまうなんて)と茫然としたものです。

その次の日にブロレス好きの友人と二人で、大学の図書館の視聴覚教室でブロディのビデオを持ち込んで見て彼の死を悼みました。

余談ですがブロディと言えば毛皮を張り付けたリングシューズがトレードマークでした。彼が亡くなってから何年か後に女子高生の間でルーズソックスが流行った時に友人のT君が「ブロディを思い出すわぁ」としみじみと語っていました。
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人の命の儚さを地上最強のレスラーから感じ切なく思うとともに、一日一日を大切に生きなければと思ったものです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。