3つの宝箱(あるいは思い出という名の公園)

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

立命館大学の思い出その3(永遠のライバル同志社大学)

関関同立の中でも、わが立命館と同志社は同じ京都にあることもあり、昔からよく比較されたものでした。
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当時は、同志社の方が立命館より少し偏差値が上だったので、関西の学生達は少し同志社を上に見ている人が、多かったように思います。
ただ地方から進学した人には、そういう傾向はあまりなく、学費が立命館の方が安いので同志社を蹴って、立命館に進学して来た人も多くいました。
実際私の家内も同志社を蹴って、関東の某大学に行きました。

私は、同志社にも友人がいましたので、同志社に遊びに行くこともありましたが、学生のレベルはやはり大差ないと感じました。
ただ大学や学生の雰囲気は違いがあり、同志社は明るく華やかな印象があり、立命館は質実剛健という言葉が似合う感じでした。

あえて言わせてもらうと同志社の学生は、漫才コンビの圭修のように初対面では明るく面白い印象を受けるのですが、何回かしゃべるとたいして面白くないという印象でした。
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それに対して立命館の学生は、地味な感じですが実際しゃべると味があり、面白い学生が多いという印象です。
もちろん同志社にも本当に面白い学生はいたでしよょうし、立命館にもお洒落な学生はいたと思うのですが、全体的にはそのような当時の学生像でした。

お互いに愛校心が強く相容れない部分もありました。
同志社の女子学生と合コンをした時に、その一週間前にあった立命館と同志社の野球の試合のことで、私が「この前の立同戦見た?」と言った時に向こうの女子学生が口を揃えて
「同立戦!」と即訂正してきた時は、お互いの間にマリアナ海溝より深い溝を感じたものです。会話自体も噛み合わず、新日本プロレスとUWFの対抗戦のような殺伐とした雰囲気になってしまいました。それも今となっては、一つの思い出です。

当時私が、一つだけ同志社を羨ましく思ったことがありました。それは同志社にはプロレス同好会があったのです。プロレス好きの私としては、もし立命館にプロレス同好会があれば入りたかったぐらいですが、入学当時にはプロレス同好会はなく、それがある同志社が羨ましかったのです。

同志社プロレス同好会の試合を見に行ったことがあるのですが、なかなかに面白く客席も盛り上がっていました。リングネームも学生プロレスらしく面白いものが多く、特に「パンツ・ザ・ワコール」「嫁に来ないか新沼」などは秀逸だと感じました。嫁に来ないか新沼が新沼謙治の「嫁に来ないか」で入場してくると場内は、笑いに包まれてました。

何年か後に立命館にもプロレス同好会が出来たのですが、発足当初は同志社のように面白いリングネームの選手は1人もおらず、試合内容も同志社に比べるとまだまだ未完成でした。

しかし時を経て今、立命館プロレス同好会出身の棚橋が新日本プロレスのエースとなり完全に同志社プロレス同好会との立場は、逆転したと言っていいと思います。当時立命館にプロレス同好会を作ってくれた発足メンバーに本当にありがとうといいたいです。
彼らがプロレス同好会を作らなければ、プロレスラー棚橋も存在しなかったのかもしれないのですから。
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立命館と同志社には、いつまでもいい意味でのライバルとして競いあってもらいたいと思います。
私も機会があれば立同戦(同立戦ではなく)を観戦に行き、母校を応援したいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。