3つの宝箱(あるいは思い出という名の公園)

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

昭和プロレスをめぐる謎その1(雪崩式ブレーンバスターをめぐる空白の一日)

「プロレスは底が丸見えの底無し沼」
これは、週刊ファイトの名物編集長I編集長の名言の一つです。
この言葉が示すように昭和プロレスには、大きな謎を示した試合がいくつか存在します。
今回は、その内の一つを紹介します。

1981年4月に、国際プロレスの期待の星「阿修羅原」が米国修行から帰国することになりました。当時国際プロレスは、テレビ中継を打ち切られていて瀕死の状態で、最後の一抹の希望がこの阿修羅原の帰国だったわけです。
アメリカで肉体を大きくヘビー級に改造した原は、新必殺技を携えて帰国することになりました。それが「雪崩式ブレーンバスター」です。
具体的に説明すると、相手を一旦抱えてコーナーポストに載せて、自分はコーナーの二段目に足を載せてブレーンバスターをかけるというものです。
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今でこそ、雪崩式は珍しくない技ですが、当時としては珍しく画期的な技でした。
まして日本ではまだ使い手がいないということもあり、原の凱旋帰国にそれなりに注目が集まっていました。

原が帰国すると4月16日のマスコミ向けの公開練習で、雪崩式ブレーンバスターが披露され翌日の東京スポーツに大きく掲載されました。
それが4月17日のことで、原の凱旋試合が翌日18日に予定されていました。

問題は、ここからでこの17日に新日本のテレビ中継があり、藤波対木村健吾の試合が生中継されました。この試合で何と!木村健吾が藤波に対し、雪崩式ブレーンバスターを仕掛けたのです。
藤波に切り返され失敗に終わりましたが、明らかに雪崩式を仕掛けようとしたのです。
観客も木村が何をしようとしたか、理解している人とわからない人がいて会場がざわついた感じになりました。
私は(こいつ人の技を事前にパクろうとするって最低やな。しかも失敗するって)と思いましたが、よく考えると二つの謎が浮かび上がってきました。

一つは、「木村は、自分の意志で技を盗もうとしたのか」ということ。
二つ目は「木村は、本当に技を成功させる気だったのか」ということです。
まず一つ目については、新日本プロレスの中では、人が良いと評判の木村が人の技を積極的に盗むとは、考えにくいんですよね。当時人の技を盗むことはタブーとされており、あの木村がそのタブーを積極的に破ろうとするとは思えません。
二つ目については、木村が雪崩式を仕掛けた時
簡単に藤波に切り返されてます。これもテレビで見ていて(そんなに簡単に返されるかな。)と思いました。何というか本気で技を成功させるという意志が、木村から感じられませんでした。

ここからは、私の推測です。原の記事が載った東スポが17日、原の試合の一日前です。
その日にこんな会話が、新日本プロレスで交わされたのでは。
まず猪木が「オーイ藤波、木村ちょっと来い。」
藤波・木村「はい。」
猪木が東スポを手にとって
「この阿修羅原って奴の技なかなか面白いじゃないか。」
藤波・木村「はあ」
猪木「こいつが試合するの明日だよな。それより前に誰かが、この技使ったらもっと面白いよな。」
藤波・木村「えっ?」
猪木「それで、その技を簡単に破られたらもっと面白いよな。ところでお前たち今日テレビ中継で試合だよな。」
藤波・木村「・・・・・」
以上のような会話があったのではないかと思うわけです。

当時国際プロレスは、団体の存続が危ぶまれていましたが、新日本としては万が一にも息を吹き返されたら困るわけです。阿修羅原が雪崩式ブレーンバスターによって、ブレイクするかもしれない。
それならば、事前にその芽を摘み取っておこう。
つまり原より先に雪崩式ブレーンバスターを披露して、しかもその技を簡単に破ってしまう。
そうすることにより、原の技のインパクトをなくしてしまうわけです。
「これから、阿修羅原がやろうとする雪崩式ブレーンバスターというのは、簡単に切り返せるんですよ。その程度の技なんですよ。」と大勢の人に思わせる訳です。

そう考えると全ての辻褄が合うんですよね。そして人の技を事前に盗むという汚れ役に木村が選ばれたという訳です。スターの藤波にそんなことは、させられませんから。
勿論これは、私の推測であり本当のところは分かりません。
ただ一つだけ確実に言えることは、ただてさえ低い木村健吾の株がより下がったということです。
人の良い木村健吾「らしくもない」行動だったと思います

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。