3つの宝箱(あるいは思い出という名の公園)

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

プロレスラ-輪島へのレクイエム

元横綱の輪島大士氏が、亡くなられました。
テレビやネットでも、かなり取り上げられてます。しかし、元横綱の輪島氏という扱い方がほとんどでプロレスラ-という経歴はあまり扱われていません。

これは、輪島氏の経歴を考えれば当然のことで相撲の大横綱というのが輪島氏の経歴の誰もが、知っている一番主要なメイン部分。そこを中心の切り口になるのは当然のことです。

ですが、私のようなプロレスファンにとってはプロレスラ-としての輪島の印象が強く残っています。
なのでプロレスラ-輪島の思い出を語らせていただきレクイエムとしたいと思います。(あえて敬称は省かせていただきます。)

輪島がプロレス転向したのは、1986年の秋。38歳と年齢的にはかなり遅いデビュ-のためプロレスファンの中では批判的な目で見るものも多かったです。
やれ「プロレスをなめるな。」とか「出きるわけがない」「客寄せパンダだ。」など。
私は純粋に元横綱がどんなプロレスを見せてくれるか楽しみでしたし、輪島によってプロレスファンの裾野が広がることを期待していました。

実際に輪島がデビュ-すると凄い反響でしたし、思ってたよりプロレスラ-としてさまになってました。何よりもやはり元横綱の風格というかリングに上がった時に凄く華がありました。やはり一つのことを極めた人は違うなと思ったものです、
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ところが、デビュ当初はひたむきに戦っていておおむね好意的に見られていた輪島もしばらくするとプロレスの壁にぶち当たります。
経験値が少ないのに大舞台に抜擢され、好試合を出来ない輪島にプロレスファンの目も、厳しくなり「輪島どんくさいなぁ」などと思われていたと思います。ハンセンやフレア-などの外人レスラ-も輪島との試合は、だいぶ輪島に合わせて苦慮しているのがありありと見えました。

そんな輪島の前に立ちはだかったのが天龍です。「大相撲の横綱は、そんなにやわじゃない。」と輪島に容赦のない攻撃をしかけ、それに必死で立ち向かう輪島。その二人の攻防の激しさは、あの前田日明を驚かせるほど激しいものでした。
「あの固いレスリングシュ-ズで天龍さんが、輪島さんの頭をボコボコ蹴っているのを見て、危機感を覚えた。」と言わしめたものです。
天龍と戦ってる時の輪島は、輝いていました。

話しは変わりますが、私にとって輪島についての私的思い出があります。
大学2回の時のことです。ちょうど輪島のデビュ-1ヶ月前の1986年10月でした。

学園祭の模擬店のチケットをキャンパス内で売りに行った時一人の美少女に出会いました。
石川ひとみと有森也美を足して2で割ったような瞳の大きい娘でした。
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彼女が1回生ということがわかったので、「ということは18歳?」と聞いた私に「いいえもう19になりました。オバンです。」との彼女の返事に思わず私は
「何を言ってるんですか、輪島なんか38でデビュ-ですよ!」とボケました。
外したかなと思ったのですが、思いの外ウケて彼女が笑ったので嬉しく思いました。改めて輪島のビッグネ-ムさを認識したものです。

結局輪島は2年余りでプロレスを引退しますが、輪島のいた2年間は全日本の活性化につながりプラスだったと思います。
プロレスラ.輪島に心から哀悼の意を表します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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