3つの宝箱

私にとっての3つの宝物といえるプロレス・映画・学生時代の思い出や、日々の雑感を語るブログです。

昭和プロレスを巡る謎6(高田に負けたマーク・ルーイン)

今回の謎は今でも多くのプロレスファンが疑問に思っていることです。 それは1984年の第1次UWFでマークー・ルーインが高田に負けたことです。 このことは、当時話題になりました。 何故なら当時の二人のプロレス界における挌には、大きな差があったからで…

昭和プロレスを巡る謎その5(幻に終わったマスカラスの国際参戦)

全日本プロレスと国際プロレスが、友好関係にあった時期にマスカラスが、国際プロレスに貸し出される企画があったようです。 これは、昭和53年に国際プロレスの吉原社長から全日本の馬場に要請があり話はほぼ決まっていたようです。 具体的には、全日本の夏…

「バロムワン」仮面ライダ―になりきれなかったヒ―ロ―

今回は特撮ドラマ「超人バロムワン」について書かせていただきます。 誰もが知っている等身大の特撮ヒ―ロ―と言えば 「仮面ライダ―」ですが、このバロムワンはその仮面ライダ―が出来た翌年に第二の仮面ライダ―を作ろうと企画されたものです。 しかし、結論か…

昭和ガメラその素晴らしき怪獣世界

前回の記事で私が昭和ガメラを好きな理由を書かせていただきました。しかし昭和ガメラの魅力については、充分書き尽くせませんでしたので、今回書かせていただきます。 前回書かせていただいたように昭和ガメラの最大の魅力は、ガメラを「子供の味方」と位置…

昭和ガメラと昭和ゴジラその相違

フェイスブックの友人から、「ガメラ」の魅力を教えて欲しいと依頼がありました。 フェイスブックでは、色々と制約もあり書ききれないので、この場で書かせていただきます。 最初に断っておきますが、私は特撮が好きですが、マニアではありません。なので当…

長州のツイッタ―に思うこと。

最近、長州力のツイッタ―が話題になっています。その使い方が斬新だということです。 本来不特定多数に向けて、つぶやくツイッタ―をまるで、ラインやメ―ルのように特定の誰かあてにつぶやいているからです。 「源ちゃんいますか?」 「慎太郎いますか?連絡…

「なごり雪」を聞くと思い出す情景

よく「歌の歌詞のような」とその時の光景を表現することがあります。みなさんは、そういう場面に遭遇したことが、ありますか。私はあります。 あのイルカの名曲「なごり雪」そのものの場面に。 今から30年近く前に付き合っていた彼女がいました。元々は近く…

「マジェスティック」に感じる人の普遍的な願望。

今回は、私の好きな映画について書かせていただきます。 2001年に公開されたフランク・ダラボン監督の作品「マジェスティック」です。 この作品を見るたびに、いつも爽やかな感動を覚えます。 大まかなストーリーは、こうです。 ハリウッドの新進の脚本家ピ…

時間という名の砂時計その貴重さ

テレビ番組の中に「あの人は今」的な番組が今でも放送されることがあります。昔人気だったアイドルや俳優が今現在の姿は、どうなっているのかを、その本人を探し出し放送するものです。 私も興味本位でこういう番組をよく見ます。今まで多くのタレントの何十…

昭和プロレスを巡る謎その4(昭和全日本プロレスにおける両者リングアウトの謎)

昭和の全日本プロレスでは、試合の完全決着が着かないことが多くありました。その時の決着方法としては両者リングアウトや反則決着などが用いられました。これらの決着ですと対戦した両者に傷がつかないため、特に全日本プロレスでは多くの試合が、これらの…

昭和プロレスを巡る謎その3(ジャイアント馬場とラッシャー木村の不透明決着の謎)

国際プロレスが存在していた時に、全日本プロレスのジャイアント馬場と国際プロレスのエース、ラッシャー木村との対決は2回行われています。 一度目は、昭和50年12月17日の千葉公園体育館。全日本主催のオープン選手権の公式戦として行われています。 二度目…

昭和プロレスを巡る謎その2(全日本プロレスバトルロイヤルで感じた異変。)

プロレスの試合方式の一つにバトルロイヤルというものがあります。 これは、大勢のレスラーが一度にリングに上がり一斉に戦い、最後に勝ち残った一人が優勝となる試合方式です。 大勢のレスラーが一度にリングに上がるので、華やかさはありますし、色んな対…

スターウォーズで感じた違和感

今回は映画についての話です。SF映画の金字塔「スターウォーズ」について書かせていただきます。 ジョージルーカスによるこのシリーズは、全世界で知らない人がいないぐらいの有名な作品です。魅力的なキャラクターと素晴らしい特撮技術によるこの壮大なス…

あしたのジョ―についてその9(ジョ―をとりまく男たち 力石徹②)

今回は、力石とジョーのボクシングでの初対決の話です。 前回ジョーと力石の初めての戦いの話を書かせていただきました。 力石に叩きのめされ、力の差を実感したジョーは、段平に助けを求めます。 そのジョーからの助けを求める葉書に応じた段平が、ジョーに…

国際プロレス吉原社長の誤算

今年出版された一冊の本。「東京12チャンネル時代の国際プロレス」この本を読ませていただきました。 とても読みごたえがある本でした。何よりも一番の収穫は、長年私が国際プロレスに対して抱いていた謎の答え合わせが、出来たことが一番の収穫でした。 私…

あしたのジョ―についてその8(ジョ―をとりまく男たち 力石徹①)

ジョ―にとって力石は、最大のライバルであり最も心が通じ会えた相手と言っていいと思います。 力石は、ウルフと違い非常に洞察力に富み、器の大きさが感じられる人物です。 連載中に力石は、ジョ―を上回る人気を得ていました。これは上記の力石の魅力を読者…

哀愁のジプシ―ジョ―

私がプロレスを見始めた頃には、3つのプロレス団体が存在していました。 ジャイアント馬場の全日本、アントニオ猪木の新日本、そして国際プロレス。 今回は国際プロレスについて書かせていただきます。国際プロレスには、馬場や猪木のような突出したス―パ―ス…

あしたのジョーについてその7(ジョーをとりまく男達 ウルフ金串)

ウルフ金串は、ジョーがプロで戦った最初の強敵といえる男です。 ジョーとの因縁は、ジョーがウルフの控え室でウルフに言いがかりをつけるところから始まっています。二人は素手での殴り合いになり、ジョーのクロスカウンターで相討ちになります。これは当時…

教育現場の問題についての私見

新聞やテレビを見ていると、相変わらず学校でのいじめや不祥事を取り上げたものが、後をたちません。 中には、自ら命を絶ってしまう子供もいて心が痛みます。これだけいじめの問題が継続して起きているのに、学校の教師や教育委員会が真摯に対応出来ていない…

立命館大学の思い出その11(遠い春と私だけの十字架)

私が学生の頃は、携帯電話もスマートフォンもありませんでした。 誰かに連絡するためには、固定電話にかけることでしか、連絡できない時代でした。 今までに何回か書かせていただいたとおり、当時私には想いを寄せている憧れの女の娘がいました。 その娘とは…

立命館大学の思い出その10(裏切りの新日本、大阪の夜。)

3回生の秋に友達と新日本プロレスを見に行った時のことです。1987年の9月17日に大阪府立体育館に行きました。 当時新日本プロレスは、全日本から出戻ってきた長州が中心となった新旧世代闘争で盛り上がっていました。 これは長州が猪木を中心とする現状のト…

プロレス初観戦で気づかされた自分の嗜好と大阪のファンのシビアさ。

私が初めてプロレスを生観戦したのは、昭和55年12月10日のことでした。もう今から40年近く前のことになります。新日本プロレスの第1回MSGタッグリーグ戦の決勝戦を大阪府立体育館に友達と二人で、見に行きました。 その前日には同じ会場で全日本プロレスの…

三重で見たテリーファンクの生きざま

1995年の出来事なので、今から24年くらい前の話です。友人のH 君と車で旅行に出かけていました。 特に目的地はなく気ままな二人旅でした。 三重に立ち寄った時、たまたまその日IWA ジャパンという団体のプロレス興行が、あることを知りました。そして、その…

めちゃイケでの横山由依に見たプロ根性

去年の話ですが、ナインティナインの「めちゃ×2イケてるッ!」の中で女子プロレスの企画がありました。当時めちゃイケが終了になるということで、この女子プロレスの企画も最後ということで企画されたものです。 この時オアシズの光浦靖子とAKBの総監督横山…

立命館大学の思い出その9(ブロディがいなくなった日)

プロレスファンなら誰でも知っていますが、かってブルーザーブロディというレスラーがいました。 私が大学生の頃ブロディは、ハンセンと並んで地上最強のレスラーと称されていました。 ハンセンが新日本ブロレスから全日本に移籍したことにより実現した二人…

立命館大学の思い出その8(Y君との思い出)

私が立命館に通っていた頃は、地方から進学してきた学生が多くいました。 比率でいうと関西から通っていた学生が6割、地方から進学してきた学生が4割だったと記憶しています。 地方からの進学してきた学生は、おしなべて真面目な学生が多かったと思います。…

立命館大学の思い出その7(昭和の映画館)

明けましておめでとうございます。 旧年中は。私のブログを読んでいただきありがとうございました。 今年も出来る限り更新していきますので、読んでいただければ嬉しく思います。正月といえば思い出すのが、よく父に映画に連れて行ってもらったことです。 今…

立命館大学の思い出その6(学生街の喫茶店)

私が大学の時は、今と違い個人経営の喫茶店が多くありました。立命館の衣笠キャンバスの近くにも、多くの喫茶店があり立命生がよくたむろしていました。 オムライスで有名な「ひとみ」や山小屋風の無限堂など今でも残っている店もあります。 当時は何かある…

立命館大学の思い出その5(国際都市十三)

大阪府民なら、みんな知っていることですが大阪市に十三という街があります。(じゅうさんではなくじゅうそうと読みます。) 私が学生の時十三は、一部の人に「国際都市」と呼ばれていました。何故なら十三の中には「パリ」や「ロンドン」が存在していたから…

立命館大学の思い出その4(1987年の前田日明)

3回生の11月にプロレスラーの前田日明の講演会が 以学館でありました。 当時前田は新日本プロレスに在籍していました。第1次UWF が経営的に行き詰まり、新日本プロレスに戻って来たわけです。 新日本プロレスでは、前田は常に危険な香りを漂わせ、アンドレ…